外来種問題の考え方

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2010年06月17日 23:38


  この写真は2008年6月30日の記事から持ってきた。
 自分としては、お気に入りの写真です。

  オオキンケイギクは2006年に特定外来生物に指定された。
 一部税金も使われ駆除されてきた。
 しかし4年が経過した今も生育範囲を拡大している。
 園地、庭先、堤防、墓地、道端など人の手によって開かれた場所で新たな群生が見られる。
 
 分布が拡大するにつれ、駆除のニュースも多く見受けられるようになった。
それでも来年はきっと分布を拡大している。
かつてのセイタカアワダチソウを思い出す。

 1960年代後半、大気汚染などの公害の被害がひどかった時期だ。
セイタカアワダチソウも繁茂の盛りで、花の飛ばす花粉が健康被害を及ぼすと誤解された。
虫媒花ゆえに花粉は飛ばさないと認識が広まるまで、都市近郊では大掛かりな駆除が繰り返され幾度もニュースになった。
しかしあちこちで分布を広げ蔓延し、やがて背も低くなり今は衰退期。
セイタカアワダチソウに実害があるとされ、しかしどれだけ駆除しても蔓延した経緯を忘れてしまったのだろうか。
40年も前の事なんて中高年世代の記憶にわずかに残っている程度かもしれない。

 オオキンケイギクの駆除のニュース、この地方でも幾つかあった。
かつてはオオキンケイギク祭りが催された、岐阜県各務原市の木曽川かさだ広場もその一つ。
国交省の事務所が企画し市民が約40人参加して駆除に当たったという。

「本来の河原の風景を取り戻そう」という善意。
これに対して賛意以外を述べるのはとても気が引ける。

 日本で自然繁殖している外来種は分かっているだけで約2000種。
生物に強い人でも、とても一人で把握しきれるものではない。
ニホンヤモリとかクサガメとか、よく分からない種も多い。

 春になればセイヨウカラシナや菜の花が咲き、モンシロチョウが飛んで、子供が手のひらでオカダンゴムシを転がす。
セイヨウタンポポの綿毛をフーっと吹いて、公園の池でウシガエルのオタマジャクシを掬ってブルーギルやアメリカザリガニを釣って、滅多に釣れないブラックバスにあこがれる。
都市近郊ではどれも当たり前の光景。
全部を否定できる人はなかなか居ないだろう。
現状は人間の尺度を持ち込んで、どこかで切ろうとしている。

 目立つ種を選んで駆除しても、隔離された部分的な環境でしか根絶は難しい。
外来種でも人間の尺度で特定外来種にされた種でも、自然繁殖して世代交代を繰り返している以上は自然に適応した生物。
すでに広く分布してしまった多産系の生物を滅ぼそうって、善意はわかるけど自然を舐めてる。

 なぜ無駄に自然と闘うのか。
自然の産物に正か悪かの二元論的尺度を持ち込んで悪に勝つ西洋的な思想のように思える。
日本的な対応としては昔からそうしてきたように、せっかく自然繁殖している自然、利用できるものなら利用すればよい。
花ならミツバチが蜜を集めるだろうし、人は景観を眺めればよい。
魚なら釣るか、コストが見合うなら肥料にすると言う利用もある。


 さて、かさだ広場の駆除、善意の行為に対して言い難いんですけど・・・

私の評価は、「一時的にオオキンケイギクを除いた外来種を含めた生態系になった」です。
オオキンケイギクが進出していない園地や道路際ではハルジオンやフランスギクやセイタカアワダチソウや
ブタナやシロツメクサなど、素人目で分かる範囲でも色んな外来植物が自生しています。
それらも進出してくるでしょう。
オオキンケイギクも生育に適した場所であったから自生していたのでいずれまた咲き始めるでしょう。
「本来の河原の風景」を目指してずっと自然と闘い続けるのだろうか。

 それと「本来の河原の風景」ですけど、自然状態の大河川の中下流域の河川敷を知っている人も多いと思います。
ヤナギやハンノキが生い茂り地面は凸凹で湿地になったり隙間には少ない日照を求めて背の高い草が茂ります。
人が手を加えない「本来の河原」ではオオキンケイギクは育ち難いんですね。
人間が整地して木や草を刈り込む環境で多く見られます。

 今回のかさだ広場の駆除は、駆除実験の意味もあるようです。
わざわざ税金を使ってやらなくても結果は分かりそうなもんだが。

 オオキンケイギクは未進出地が多くてこれからも増えていくでしょう。
種の形状から広がるスピードはセイタカアワダチソウに比べればゆっくり。
繁殖限界に達して衰退していくまでにはそうとう時間が掛かるでしょう。
群生した花はとても目立つ。
インテリや行政の中にはコスト意識に乏しい人も多い。
政治家も善意や正義を標榜する思想に弱かったりする。
花が増えるにつれ、現状では税金を投入して駆除の機会も増えるかもしれない。

 人間は草に勝てない。
闘う相手を「環境に適応した自然」と認めれば負けはない。
早く諦めれば無駄な税金が使われずに済む。

 自然の生物の駆除は観念的な害でなく実害に対して、投入したコストに見合った結果が得られるかを見据えつつするべきだ。
そして実害に関して言えば在来種も外来種もない。
畑に進入して困るのは、葛もオオキンケイギクも一緒(むしろ葛か、例が適切ではないかも)。

 善意は分かる。
 しかしすでに広く分布してしまった多産系の種と闘っても限定的な場所以外は無駄。
利用できるものなら利用の方向で。
観念的な害による無駄な駆除の根拠となる特定外来生物法から外してしまったほうがよい。
思想に囚われずに自然の産物と認める、あるいは諦める種を選定すべき。
とりあえずウシガエルとカダヤシとオオキンケイギクあたりかな。
特定外来生物法は、新たに問題となる種を入れないことに主眼を置くべきだ。
 

 かさだ広場のニュースの最後には、近隣住民が抱く駆除への違和感が少しだけ書いてあった。

 
 
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 あ~

 王様は裸じゃないか!

 って、言っているような気分。




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