滋賀県愛知川上流の茶屋川。
故山本素石氏の書籍にしばしば登場する川で上流には茨川の廃村がある。
琵琶湖から愛知川沿いには楽に来れるので関西からの釣り人も多かったしそれほど魚影が濃い訳ではなかった。
でも当時はきれいな渓相で、未熟なFFMでも行けば必ずそこそこの魚が遊んでくれた。
1980年フライを始めてから数年はよく通った渓だ。
三重県から行く場合には、今でも峠の三重県側は2トン車以上通行止めの細いつづら折りが続く、酷道と呼ばれる国道421号線を通る。
‘酷道 421’でググッってみると9000件もヒットするのには驚いた。
だが当時のもっと凄い酷道が滋賀県側の未舗装の悪路にあった。
10キロの未舗装路のうち5キロの最悪路を通過するのに20分掛かった。
やっと到着した茶屋川は三重県から来るには秘境の様に感じられた。
当時は茨川までの辿道は拡張工事中で、車では折戸トンネルから数キロ先までしか入れなかった。
4月の半ば。
いつもは友人と来る事が多かった。
その時は一人で夕方の一時を釣る目的でゆっくり家を出て林道工事の現場でユーターンして1~2キロ手前で入渓した。
夕暮れになる前に何匹かのきれいなアマゴと紫の光沢の強い地場のイワナが釣れてくれた。
やがて林道の工事車両が下流へ帰っていくのが見えた。
この先にはもう誰も居ないはず。
至福の夕暮れが近付いてくる。
しばらく遡行すると石で囲まれた長さ数メートルのプールが見えた。
その上にはもう少し大きなプールがある。
下段のプールを釣ってみた。
小さなヤツが突きに来た。
上段のプールでも小さな魚がライズしていた。
上段のプールを釣るために下段のプールの落ち込みの石のギリギリに立って上段のプールを観察した。
ふと足先の石が動いたような気がした。
とっさに右足を引いたが左足は逃げ遅れ甲の部分が石の下敷きとなった。
下段のプールを構成していたその石は横幅が90センチくらい、高さと奥行きが30センチくらいで四角柱の様な形状だったと記憶している。
左足に痛みは無い。
しかし石の重さそのものに川の流れが加わって足を押さえつけて動かせない。
困った。
茫然と立ち尽くす。
上流にいた工事の人たちはとっくに帰ってしまった。
車で林道を走って来た時の記憶からも他に入渓者が居るとは思えない。
迫り来る夕暮れ。
上流のプールでは元気を増した渓魚がライズしている。
どうせ動けないしやることがないし、フライでも投げてみようかと思った。
いったいこの状況で何を考えているんだか。
ウェーディングシューズを脱いで足の脱出を試みるのはどうだろう。
だめだ、しっかり圧着して脱ぐなんてことは出来ない。
翌朝に誰かが林道を通りかかるまで助けは期待できない。
朝までずっと川の中で立ちっぱなしか?
間抜けな姿が目に浮かぶ。
食料は無い。
一晩川の中に立ち続けるくらいの体力はある。
しかしうっかり眠ってしまってバランスを崩したら溺れるかも知れない。
朝の気温は何度くらいだろう?
でも死ぬほど冷え込むことは無いだろう。
何分か後、靴の下の砂利が流れている感覚があった。
砂が多いんだ。動けるようになるかも知れない。
できるだけかかと部分の圧力を下げ砂が流れていくようにする。
靴の下の空間が徐々につま先へ広がっていく。
足が動いた!
ほんの僅かに後退した左足に水流に押された石がのしかかってきてまた圧着。
しかし抜け出せる確信が高まった。
砂が多いところで助かったよ。
石は水に押されて回転したがっている。
今度は上手く石をやりすごさねば。
また足が動くようになった。
今度は足を抜くとともに体を大きくのけぞり、左足が直線になるようにして石が出来るだけすねに当たらないようにした。
ゴロン、石は左足の甲の上を回転して下流に転がった。
助かった。
時間にしたらわずか10分か20分の出来事だったと思う。
林道に上がり車まで暗くなった道を歩く。
なんだか得たいの知れないようなものに見つめられているような気がして車までがとても遠かった。
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山本素石さんの本は渓流で一時を過ごす人にとってはどれもとても面白いと思う。
その中で強いて最初に読む本をお勧めするとしたらこれかな?
初版は1982年
北海道から九州まで釣り歩いて集めた話がホノボノと語られています。
昭和初期に根尾川のアマゴが人力で峠を越え九頭竜川水系に移植された話とか・・・
九頭竜ダム工事時の大蛇騒動は今も地元では語り継がれているのだろうか。
やっぱりこれだろうか
初版は1975年
奥美濃の夜這いの話とか狸に騙される話とか、みちのくの話とかゴギの話とか・・・
やっぱりどの本も面白いです。
みな昔の話になってしまうんですけどね。
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