1970年のブラックバスの思い出

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2014年01月11日 14:03

 利用価値が高いだけに、何かと物議を生んだブラックバス。
東海地方では1970年代末期~80年代初頃に多くの地域で広がった。
今では物心ついたときから普通にバスが居る世代も多くなってきたと思われる。

 私の世代では突然現れた魚だった。
そんなバスに最初に出会った頃の記憶を書いてみた。

 最初の出会いは小学校の遠足で訪れた1960年台の名古屋市の東山動植物園。
その頃は水族館もあって水槽のバスを眺めた記憶がある・・・だけど後の訪園とダブって少しあいまい。
確かな記憶は1970年になる。



 1970年
 当時私はギターのコードを押さえるのに四苦八苦しているビートルズが好きな中学3年生だった。
名古屋市のほぼ0メートル地帯の、工場と住宅地が混在する地域に住んでいた。

 1960年台には近所に小さな野池があって釣りをしたり、メダカやドジョウを網で獲って持ち帰って飼ったりした。
夏にグッピーが繁殖するときがあって、宝石を手にしたように喜んだ。
やがて野池は埋め立てられ、たまに友人と自転車で名古屋港の外れに行ったり、大人が連れて行ってくれることはあったが釣りをする機会も生きた魚に接することも疎になっていった。

 ある日友人がアロワナを飼い始めたというので見に行った。
さほど裕福そうではない家庭の玄関に置かれた大きな水槽が異様な感じだった。
その中に30cm程のアロワナが悠然と泳いでいた。
値段を聞いたが何千円かだったかかなり高価だった。
餌の金魚を食うところが何とも格好良い。
中学生が見通しも甘く無理した感じで、小遣いでやりくりするのは大変そうだった。

 しかし・・・なんとなく飼ってみたい感情がムクムクと。
でも価格やら大きな水槽やらヒーター等の設備やら、家では何かと難しそうだ。
それならばと、魚食魚飼育のアドバイスをくれる友人が提示した案でブラックバスと言う聞きなれない魚名がでてきた。
熱帯魚ではないからヒーター無しでも飼えるんだとか。

 アロワナと同じ近所の観賞魚店で売っていて価格は小さなバスで1匹数百円だったと思う。
体色はギンピカのアロワナに比べて地味だった。
それでも下顎の突き出た顔は精悍そうだった。

 さっそく親に掛け合ったが「そんな大きな水槽を置く場所なんか無い」とあっさりと却下された。
魚食魚を飼ってみたいという願望は一時的な気の迷いだったように消えた。
飼ったとしても餌の問題とかで維持できなかっただろう。

 バスとの再会はそれから1~2年後。
場所は東山動植物園の展示水槽にて。
解説で日本での生息場所として芦ノ湖など数箇所が書かれていた覚えがある。

 そして実際にバスを釣ったのは1978年、名古屋市内の溜池にて。
この頃にちょっとしたルアーブームがあったと思う。
友人が凝りだしてそのタックルを借りての人生初バス。
金属片や偽物の魚で魚が釣れるのはちょっとした驚きだった。

 名古屋市近郊では70年代後半のルアーブーム以前に入鹿池などバスの繁殖する池があった。
私はたまたま1970年に出会ったのだがバスはいつから市販されていたのだろう。
1960年代には親戚では熱帯魚を飼っていてうらやましかった。
様々な魚を飼ってみたいっていうマニアの欲求はかなり以前からあってバスの需要もあったのだろう。
バス釣りブーム以前に大都市近郊で早々とバスが繁殖している場所があったらそんな事情も絡んでいたんだろう。



    
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 幼児期、デパートの屋上でワニを売っていて「買って~!」って頼んだけど無理だった^^。
亀はイシガメを捕まえて飼ったけどいつの間にか逃げてたり、水が多すぎて失敗したり・・・。
ミドリガメは小遣いで買って飼育したけど真冬に凍ってたような記憶が・・・。






 1970年、指で口を掴むいわゆるバス持ちなんてことは当然知らなかった。
というか釣りの対象になることすら分からなかった。
でも既に相模湖とか芦ノ湖とかで楽しんでいた人もいたんだろうな。




 

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